永治談話室

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2020.04.16

籠城記(「新風土」1939年2月号 小山書店)

 

  籠城記   池田永一治

 

    頼まれた仕事となると、つひ思ひ過ぎて力夕くなるから思ふ様に書けない憶病だからだらう。そこへ行くと我儘な仕事は勝手になるから愉快にコツコツやつてのけた。ところが頼まれた仕事は仕事になるが、あまり好きではない。勝手な仕事は、これまたつひやり過ぎてしまって。突込めば突込む程モノにならなかったりするからお可笑い。
 さて此頃は、大して頼まれないから、たまに頼まれると餘計臆病になって、つひつひをつくうになるのは嘘のない話。何もしないで只もうボソヤリしているのが一番嬉しい張合ひのない気持ちだ。
  この非常時にと叱られるかもしれないがまあ待つてくれ、たまには自分でも勿體ないと思ふが、非常時なら猶の事、餘計な無駄をしたくないからでもある。繪を描くより他に、よくよく取柄のない人間が、何處の世界へ威張つて出られやう。と思ふといよいよ尻込みせざるを得ないぢやないか。
 それに今迄、随分と無遠慮に、我儘をした私だ。仕度いと思ふ仕事はとに角一生懸命やつて来た、それが世間で受けやうと受けまいと私の知つた事ではない。それ程自由に濶歩したから未練はないが、さてよくよくその仕事をふり返つて見ると辱かしながら、大して自慢にならない物なのに漸つと気がっいたばかりだから腐つてしまふ。
 誰れにも出来ない仕事だと、自負していたゞけに一寸淋しい気がする。他人にはそれが出来ないのぢやなくて、しても大して得にならないからしなかつたかもしれないと思ふ迄にひがんで見ると。有頂天になつていたゞけ癪にさわる。
 何の仕事でも多少の犠牲はあるが、損を承知でなくちややれない仕事。行きづまるのは恥でもなんでもない、寧ろやらない方が卑怯だと思つたからやつた迄だ。御かげでどうにか意地張ってこゝ迄来たのは、頭脳の惡かつたおかげた。
 とに角、なまじなまなかの仕事では世間の爲めにも自分のために朮よい筈はない。ヂリヂリこゝ迄考えが煮つまつて来ては手も足も出なくなる道理だ。いたずらにあせつて、無暗矢鱈にすりつぶした身心へ、日なたボツコはクリーニングくらゐの効果がありそうだ。
 他人の仕事に同感しかねるからこそ、自分の仕事の仕甲斐もあるが、肝心自分の仕事に己惚れがなくなつたら藝術家はおしまいだ。……まあそんな事は何もかも忘れて、精一杯深呼吸する事だ、そうすれば人並の心臓にはなれるそうだから。

 他人の思惑はどうでもいゝが、せめて家の者に迄気兼ねしたくないと思ふ程、この頃の身勝手を思ふと、いよいよますます、ボンヤリ構へざるを得なくなつた破目だ。見た眼に樂そうでも日向ボツコだ。決して樂ぢやない。
 軍歌に明けて軍歌に暮れる、この日頃。畫かきだけ落ちついて仕事しやう願ひは無紳經過る。いっそ振ひ立つて従軍する野心もない。仕事に憶病な私自身を軽蔑してやる。
   戦争に敗けても、蒋介石にまだ第三國の尻押がある。繰れ乍らも逃げてゆくところのある蒋介石はまだいゝ。遁げもかくれもならない非常時のヘボ畫カキの生活は。敵の城内に捕虜になつて、生埋めされてる覺悟なら、何の事はないまだまだ大丈夫この點我ながら度胸のよさに惚々する。

 

※「軍歌に明けて、軍歌に暮れる」時勢の中で「仕事に臆病な」自身に問うている。

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