永治談話室

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2020.04.17雑記

永治を詠んだ詩 番外2編

 

 鳥わたる

団子坂をのぼり右へ折れると駒込林町のはず
が千駄木町になっている。あのころ家族八人
が身をよせた駒込林町二〇二番地をさがそう。
上の姉とふたりで葉かげをふんで、どの路も
千駄木小学校のまっすぐな石塀でおわる。

 五十数年前、焼跡一帯の玉蜀黍畑は小学
 生の目より高く大人のものだった。仲間
 と空き家の硝子をわり上野の街で売って
 スルメを買った。柵をこがす太陽にもた
 れて池のザリガニを釣った。

金木犀のかおる塀のまえで姉の杖がゆっくり 
まわれ右をする。(もう、もどりましょうか)
私は文京区の地図をもっていない。姉は目を
つぶってたどる地図にはいれない。観潮楼跡
を根津権現へくだって池之端に出る。

 不忍池のそらをゆく十数羽の雁は筆先五
 ミリの褐色の点々。「鳥わたる」の油絵
 はバラックばかりの街を団子坂の崖から
 見おろした構図だった。空襲をくぐった
 父がふぞろいな絵具で描きあげた。

(大きな欅があってね、その隣だったのよ)
くらしにもどってから、下の姉が電話をくれ
た。罪のきらめき、きこえぬつばさを吐きだ
す地層は、六百キロヘだてる過去分詞。錆び
つきながらで切っ先で突っかかる。

  (「詩集 楠の六月」、詩学社、2004)

 

  西宮砲台

父が関西の旅先でスケッチしたパステル画を、姉が送ってくれた。
私は五十一歳のときの末っ子で父のことはくわしく覚えていない。
なかに見覚えある旧砲台の画があった。チョコレートの丸缶みたい
な西洋式砲台のさきに大阪湾が広がり、春草のあかるい砂浜に三艘

のヨット、〈香櫨圉浜で、一九三三年〉と裏書きがある。

香櫨圉浜の職員住宅で母と暮らしはじめたのは一九六七年だった。
ベランダの五十mむこうに砲台跡があったが、父に三十数年おくれ
て着いた景色とは知らなかった。〔幕末に造られた西宮砲台は十一
の砲眼で全方位を砲撃できる最新鋭の装備のはずが、撃つと砲煙が
内部にみちて実戦に使えず、明治時代の失火によって石造りの外郭
だけの廃墟になった。〕夏休みになると職場の高校生が訪ねてくる。
「~ことなり」と悟りとじる『徒然草』に質問の鞄もすぐとじられ、
マリンプールでうかんだりヨットーハーバーでねころんだり、入院
して空いた母の部屋が休み処となった。砲台のなかは扉もフェンス
もなくてあれほうだい、教室ほどの広さに燃え残りの花火や酒瓶が
ちらばっていた。壁は巨大な岩を基盤に据えその上に切石を積んで
隙間をセメントで塗り固めてある。ひんやりとしたうす暗い空間に
日光が糸のようにぬけとおって細かいはこりをうかべる。

額を買いに出た町で砲台へ歩いてみようと気がかわった。母を送り
浜を離れて三十年になる。中新田川から夙川沿いに」時間あるくと
河口に着く。一月にめずらしいあたたかな日でユリカモメが砂嘴に
ならぶ。東に松林の丘がみえる。石造りの跡もみえてくるだろう。

のばってゆくと空と砂しかない。(震災でくずれたのだろうか。)
靴じゅう砂でいっぱいになってぬごうとしたとき、あたまのうえに
砲台があらわれた。それは外郭だけ修築されていた。空と思ったの
はブルーで粧った外壁の色たった。百四十年ぶん折り返した砲台は
ぐるりをフェンスでかぎり、扉に錠をさし、砲眼を矩形になおし、
あらあらしい岩を塗りこめてしまった。白いペンキの案内板のある
北側のひら地から防波堤にのばると職員住宅の窓がひかっている。
「ライトブルーのパステルもってるかね。かき直さなくっちや」、
わすれかけた東京弁が私のむねのポケットへ手をのばしにくる。

           (「詩集 ナラバ騎士 」詩学社、2006)

 

  ※ 修築以前の砲台(管理者の描いた油絵)

 

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