池田永治について

ABOUT EIJI IKEDA

早 春

和歌山の美術館に洋画家のEの版画が出ると
きいて来た三月の雨が城の石垣を染めている

シンプルな絵です『現代の洋画』第23巻版画
集がばら売りに出されやっと手に入りました
化粧をせぬわかい女性の学芸員が案内をした
大正時代のモダニズムからあざやかな色彩と
技法を与えられた版画がならぶへやの片隅に
葉書一枚のサイズでEの「早春」があった

手前に塀のはしと木造の小屋がある草の
生えはじめた野路をまがってゆくと白壁
の土蔵にゆきあたる柿の樹が二本まばら
な枯葉をことばのようにゆらしている
みあげる空の雲のかたまり枯葉の褐色
二十六歳の心臓の音がするわか草のいろ

Eの描いた版画はおそらくこれ一枚でしょう
学芸員がつづける同じ時代の仲間たちは洋画
制作のかたわら版画誌を出し版画展をひらい
て熱を高めていったがEは駒場の美術博物館
にも新潟の美術館にも「早春」だけをおいて
立ち去っていると

帰る駅で雨があがり九十年のちの世界へ電車
は速度をあげる春霞のようにくもる窓ガラス
彼がしていたように右上の隅におおきくEと
サインをしてみた

鉛筆画

すすむ糖尿病が
61歳の彼を描かぬ画家にした
大震災や空襲をくぐった上野駅から
十二月の夜汽車で北陸の氷見へ
一家七人がのって
二女の勤める村の診療所に移り住んだ

 雪国は雪ふるなかに日を拝む

日にかざす両掌と
雪にうもれる肩を自作の句に軋ませ
Eはかかぬ画家になった
末っ子をだいて阿尾の城址で
ひねもす海をながめた
人に贈った絵の屋根の色合いを
あの色はもう出せぬとわらった

かれはかかぬ画家で二年をすごした
その目がじっと動かなくなった日
うずくまる母のうしろで
五人の子らが鉛筆をとって
かれのかおを画用紙にかきはじめた

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(詩集 ナラバ騎士(ナイト)池田辰彦、詩学社、2006)