永治と交流のあった人々

INTERACTION

犬養毅氏、頭山満氏との交流

犬養木堂氏から池田牛歩に、頭山満氏から池田永一治に贈られた色紙が現存する。
そのいきさつは不祥だが、本HPの「ハガキの交流」には1934年三男犬養健氏から贈られたハガキもある。このあたりの事情に詳しいお方はぜひお教えください。

〔参考〕犬養毅(木堂)(1855~1932)
5・15事件で暗殺された首相、政治家。新聞記者出身。
頭山満(1855~1944)
政界に広い人脈をもったアジア主義の思想家、篤志家。

高村光太郎揮毫のチョッキ

1945年5月14日、ある会席で高村光太郎と同席した永一治は、大いに共感するところがあって、自らのチョッキを脱いで、その背に光太郎の揮毫を受けた。その文面は「美もっともつよし 光太郎、池田永一治画伯に献ず」である。(神奈川県寒川町、三女タツミの夫、亀山昭氏蔵)

 永治のチョッキについて、2019年の春、高村光太郎連翹忌運営委員会の代表小山弘明氏からお手紙をいただいたので、その一部を紹介します。

 「早速早速画像をお送りくださり、ありがとうございました。これは光太郎の筆跡で間違いありません。実に貴重なものです。5月14日という日付けもなかなか特別な日です。 光太郎郎は、駒込林町のアトリエを焼け出され、しばらく近くにあった妹の婚家に身を寄せていたのですが、そこもほかの被災者で手狭になり、以前から疎開の誘いを受けていた岩手花巻の宮沢賢治の実家に疎開させてもらうことにしたのですが、そのために東京を発ったのは5月15日、その前日ということになります。花巻についてからの日記は残っていますが、残念ながらその前の日記は残っておらず、(おそらく日記をつける余裕もなかったかと)どういった場、状況で父君にあったのか不明です。
 ただ、そうした極限状態の中、同じく美術に携わる者として「美もつともつよし」の語を贈ったと考えられ、そういった意味でも貴重なものです。可能であれば、現物も是非拝見したいものです。」

「洒脱の浩一路と激情家永一治」新居格