あとがき

AFTERWORD

※本ホームページは、池田辰彦・久子著『画家池田永治の記録』(2019年10月、神戸新聞総合出版センター発行)をベースにしていますので、その「あとがき」をそのまま引用します。)

 筆者には1990年代から、父永治(1889~1950)の画家としての記録をまとめたいという気持ちがありましたが、いっこうにまとまらず意欲が持続せず、素材集めだけにいそしんできました。しかし、一昨年に長姉夕力、昨年に三姉タツミを亡くして、父をじかに知る肉親がいよいよ末っ子の筆者だけになったことで、今年の3月から「記録」に取りかかることにしました。

 残念なことは、筆者がもっと早い時期に始めていたならば、永治の同時代の方々、じかに知る方々に接することもできて、もっと違った豊かな内容や方法で記録をまとめることができたかもしれないことです。

 しかし、幸いなことに、永治の残した資料がまだ手元にありましたし、四姉嘉納は残念なことに早逝しましたが、長姉夕力は神田の古本屋で永治関連の出版物を見つけては知らせてくれ、三姉タッミは収集したアサヒグラフや永治をモデルに書いた小説の原稿を送ってくれました。二姉ヒロは永治の遺品を大切にずっと保管していて、彼女の没後、子の辻本豪・要兄弟がそれら全てを筆者に託してくれました。

 素人の筆者が記録をまとめるとなると、基本的なモデルが必要になります。1998年10月、田山花袋記念館(群馬県館林市、現田山花袋記念文学館)が、「第15回特別展 池田永治の世界(花袋著書の装幀を軸に)」を開いて、関係者・親族から絵画や資料を収集し展示されましたが、その時、私ども姉弟のもつ資料も役立つことができました。その折に、展覧会と同名の研究冊子が花袋研究家丸山幸子先生を中心に記念館によって出版されて、年譜・作品を体系的実証的にまとめあげるその手法に筆者は深く感銘をうけました。

 今回、筆者は、田山花袋記念文学館様と故丸山幸子先生の姉上様のお許しをいただいて、それらの手法や資料を基本的にお借りしながら、筆者の手持ちにすぎませんが、すべての知識や材料を載せて本書をまとめました。その中心に丈夫な骨格を与えていただいたことに心から感謝を申し上げます。

 ふり返りますと、ほかにも挙げきれぬほど多くのさまざまな方々の有形無形のお力やアイデアをお借りして、ここまでたどり着くことができました。
 中でも、漫画文化研究家の清水勲先生には、漫画特集や研究文献などさまざまな場で永治作品をとりあげてくださり、筆者も貴重なアドバイスをたまわりました。山口大学の菊屋吉生先生には、永治のかかわった珊瑚会の画家たちの活動について実証的な資料をたまわりました。花袋研究家の程原健先生には、永治の新資料をご提供くださいました。田山花袋記念文学館の阿部弥生先生には、本書作成について具体的にアドバイスをいただきました。兵庫県立美術館の鈴木慈子先生には、所蔵する永治油絵の画像をご提供いただきました。太平洋美術会の松本昌和先生には、太平洋美術画会・太平洋美術学校時代の永治の新資料を発掘してご提供いただきました。川崎市市民ミュージアムの新美琢真先生には、永治関係の写真をご提供いただきました。お力をいただいた皆様に厚くお礼を申し上げます。

   本書の編集・発行にあたっては、この半年間、筆者の度重なる勝手なお願いを受け止めて並々ならぬご尽力をたまわった、神戸新聞総合出版センター出版部の堀田江美氏に深く感謝を申し上げます。
 また、この機会に永治の画家人生を暖かく支えてくださった故白石義尚・よしゑご夫妻、母ひさの実家熊木家の皆様に、心から感謝を申し上げます。
 同じ本日付で発行する、「子ども漫画ピチベ第2版」(池田辰彦・イケダタク)、「新理念俳画の技法 復刻版」(池田辰彦・池田幹)、「俳画家池田永一治俳句集」(池田辰彦・亀山敦)の三書とともに、画家池田永治について知ろうとする方々の参考になることを願いながら、亡き母ひさ、岩井タカ、辻本ヒロ、亀山タツミ、高橋嘉納の四人の姉たちに本書をおくります。

2019年10月15日永治生誕130年の日に 
池田辰彦・池田久子