池田永治について

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鳥わたる

 団子坂をのぼり右へ折れると駒込林町のはずが千駄木町になっている。あのころ家族八人が身をよせた駒込林町二〇二番地をさがそう。上の姉とふたりで葉かげをふんで、どの路も千駄木小学校のまっすぐな石塀でおわる。

 五十数年前、焼跡一帯の玉蜀黍畑は小学生の目より高く大人のものだった。仲間と空き家の硝子をわり上野の街で売ってスルメを買った。柵をこがす太陽にもたれて池のザリガニを釣った。

 金木犀のかおる塀のまえで姉の杖がゆっくりまわれ右をする。(もう、もどりましょうか)私は文京区の地図をもっていない。姉は目をつぶってたどる地図にはいれない。観潮楼跡を根津権現へくだって池之端に出る。

 不忍池のそらをゆく十数羽の雁は筆先五ミリの褐色の点々。「鳥わたる」の油絵はバラックばかりの街を団子坂の崖から見おろした構図だった。空襲をくぐった父がふぞろいな絵具で描きあげた。

(大きな欅があってね、その隣だったのよ)くらしにもどってから、下の姉が電話をくれた。罪のきらめき、きこえぬつばさを吐きだす地層は、六百キロヘだてる過去分詞。錆びつきながらで切っ先で突っかかる。

(「詩集 楠の六月」、詩学社、2004)

西宮砲台

父が関西の旅先でスケッチしたパステル画を、姉が送ってくれた。 私は五十一歳のときの末っ子で父のことはくわしく覚えていない。 なかに見覚えある旧砲台の画があった。チョコレートの丸缶みたい な西洋式砲台のさきに大阪湾が広がり、春草のあかるい砂浜に三艘 のヨット、〈香櫨圉浜で、一九三三年〉と裏書きがある。

香櫨圉浜の職員住宅で母と暮らしはじめたのは一九六七年だった。 ベランダの五十mむこうに砲台跡があったが、父に三十数年おくれ て着いた景色とは知らなかった。〔幕末に造られた西宮砲台は十一 の砲眼で全方位を砲撃できる最新鋭の装備のはずが、撃つと砲煙が 内部にみちて実戦に使えず、明治時代の失火によって石造りの外郭 だけの廃墟になった。〕夏休みになると職場の高校生が訪ねてくる。 「~ことなり」と悟りとじる『徒然草』に質問の鞄もすぐとじられ、 マリンプールでうかんだりヨットーハーバーでねころんだり、入院 して空いた母の部屋が休み処となった。砲台のなかは扉もフェンス もなくてあれほうだい、教室ほどの広さに燃え残りの花火や酒瓶が ちらばっていた。壁は巨大な岩を基盤に据えその上に切石を積んで 隙間をセメントで塗り固めてある。ひんやりとしたうす暗い空間に 日光が糸のようにぬけとおって細かいはこりをうかべる。

額を買いに出た町で砲台へ歩いてみようと気がかわった。母を送り 浜を離れて三十年になる。中新田川から夙川沿いに」時間あるくと 河口に着く。一月にめずらしいあたたかな日でユリカモメが砂嘴に ならぶ。東に松林の丘がみえる。石造りの跡もみえてくるだろう。

のばってゆくと空と砂しかない。(震災でくずれたのだろうか。) 靴じゅう砂でいっぱいになってぬごうとしたとき、あたまのうえに 砲台があらわれた。それは外郭だけ修築されていた。空と思ったの はブルーで粧った外壁の色たった。百四十年ぶん折り返した砲台は ぐるりをフェンスでかぎり、扉に錠をさし、砲眼を矩形になおし、 あらあらしい岩を塗りこめてしまった。白いペンキの案内板のある 北側のひら地から防波堤にのばると職員住宅の窓がひかっている。 「ライトブルーのパステルもってるかね。かき直さなくっちや」、 わすれかけた東京弁が私のむねのポケットへ手をのばしにくる。

早 春

和歌山の美術館に洋画家のEの版画が出ると
きいて来た三月の雨が城の石垣を染めている

シンプルな絵です『現代の洋画』第23巻版画
集がばら売りに出されやっと手に入りました
化粧をせぬわかい女性の学芸員が案内をした
大正時代のモダニズムからあざやかな色彩と
技法を与えられた版画がならぶへやの片隅に
葉書一枚のサイズでEの「早春」があった

手前に塀のはしと木造の小屋がある草の
生えはじめた野路をまがってゆくと白壁
の土蔵にゆきあたる柿の樹が二本まばら
な枯葉をことばのようにゆらしている
みあげる空の雲のかたまり枯葉の褐色
二十六歳の心臓の音がするわか草のいろ

Eの描いた版画はおそらくこれ一枚でしょう
学芸員がつづける同じ時代の仲間たちは洋画
制作のかたわら版画誌を出し版画展をひらい
て熱を高めていったがEは駒場の美術博物館
にも新潟の美術館にも「早春」だけをおいて
立ち去っていると

帰る駅で雨があがり九十年のちの世界へ電車
は速度をあげる春霞のようにくもる窓ガラス
彼がしていたように右上の隅におおきくEと
サインをしてみた

鉛筆画

すすむ糖尿病が
61歳の彼を描かぬ画家にした
大震災や空襲をくぐった上野駅から
十二月の夜汽車で北陸の氷見へ
一家七人がのって
二女の勤める村の診療所に移り住んだ

 雪国は雪ふるなかに日を拝む

日にかざす両掌と
雪にうもれる肩を自作の句に軋ませ
Eはかかぬ画家になった
末っ子をだいて阿尾の城址で
ひねもす海をながめた
人に贈った絵の屋根の色合いを
あの色はもう出せぬとわらった

かれはかかぬ画家で二年をすごした
その目がじっと動かなくなった日
うずくまる母のうしろで
五人の子らが鉛筆をとって
かれのかおを画用紙にかきはじめた

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(詩集 ナラバ騎士(ナイト)池田辰彦、詩学社、2006)